カテゴリ
全体 北限の茶を守る気仙茶の会とは 気仙茶のあらまし 販売 気仙茶と私 茶畑のこと 活動報告(茶摘み) 活動報告(製茶) 活動報告(茶園管理) 活動報告(お茶会) 活動報告(聞き書き) 活動報告(茶畑めぐり) 活動報告(その他) 気仙茶の味わいに出会うには 取材記事・報道 リンク 茶摘み募集 ご支援のお願い 未分類 以前の記事
2016年 01月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 04月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2012年 08月 27日
8月26日(日)の午前中に、米崎町のF田さん宅にお邪魔し、お話を伺ってきました。
(訪問者は、菊池会長、伊達先生、佐藤、前田の4名です) F田さんは、平成9年(1997年。今から15年前ですね)に、米崎中学校の生徒と地域の方々とでの、「手揉み茶づくり」を行った際、中心になった方です。当時、米崎コミュニティーセンターの事務局長をなさっていました。 米崎中学校では、今から17、18年前に、茶摘みを学校行事として取り組み始めたそうです。 実は、当会の菊池会長が、当時、米崎中学校のPTA会長をしていて、茶摘みを学校行事にするきっかけを作ったのだそうです。当時、教頭をしていらした、川畑先生が、地域で続いてきたお茶づくりを生徒に伝えるということに、大変共鳴して熱心に取り組まれたのだそうです。 そして、当初から話題になっていた「手揉み茶づくり」を、ついに、1997年に行うことに至ったのです。地域でも、製茶機械が導入され(昭和29年(1954)~)、手づくりのお茶が消えて約40年経っていました。40年ぶりの手揉み茶の再現は、思ったほど簡単ではなかった、とF田さんは書いています。 昔はどこにもあったはずの用具が殆どなかったのだそうです。そこで、F田さんは、子供の頃、見ていた家でのお茶づくりを思い出しながら、助炭(炭の上に置いてお茶を乾かす台のようなもの)などを復元して作成したり、茶葉をもむためのむしろや、湯がくための鍋、かき混ぜる道具など用意しました。 また、湯通しの加減は、お茶の良し悪しを決めるという作業ですが、そこは、地域の比較的若いおばあちゃんが覚えていらして、手伝ってくれたそうです。 (F田さんは昭和4年(1929)のお生まれだそうです。大工として、盛岡の県庁、市役所、県営体育館などの大規模建造物の建築に携わり、また、米崎のコミセンの事務局長を25年勤められたそうです。 この日、伊達先生と交流のある、自家用茶の研究者の橋本素子先生と、F田さんが電話でお話ししました。実は、橋本先生は、自家用茶の研究のため、気仙にいらして、F田さんにいろいろお話を聞きお世話になったのだそうです。震災後、連絡が取れず、橋本先生は大変心配なさっていたそうです。この日、何年ぶり?何十年ぶり?の、電話での再会が果たされました。) F田さんの取り組まれた体験は、大変興味深く、またそのお話は示唆に富んでいました。 詳細な記録を残すため、録音テープから書き起こしました。 いつの日にか、皆様にお見せできるかと思います。
by kesencha
| 2012-08-27 09:57
| 活動報告(聞き書き)
|
ファン申請 |
||